- 1320
旧暦1月15日、寧海府で生まれました。俗姓は牙氏、最初の名は元惠です。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710a~b(延祐庚申正月十五日生) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002 · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科
- 1339
二十歳の頃、隣の友人が亡くなると、大人たちに「死んだらどこへ行くのですか」と尋ねましたが、誰も知りませんでした。彼は功徳山の了然(ヨヨン)のもとへ行って出家しました。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710b(年甫冠 隣友亡 問諸父老曰 死何之) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002(年至二十) · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科(1339년, 20세)
- 1344
楊州の檜巌寺に入り、昼も夜もひとり坐って修行しました。行状は、四年のあいだ励んで修めたのち、ふと悟ったと記しています。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710b(至正甲申 至檜巖 晝夜獨坐 忽得開悟) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002(勤脩四載) · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科(4년간 수행)
- 1347〜1350
旧暦1347年11月に元へ旅立ち、1348年に大都で指空に会って学び、1350年に江南で平山処林に会いました。 記録
각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002(丁亥十一月 發足向北 · 戊子三月十三日 大都法源寺) · 이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710b(戊子三月 至燕都 叅指空 · 秋八月 叅平山) · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科
- 1355
秋、元の皇帝の命により大都の広済寺に住しました。翌年の旧暦10月15日の開堂法会には、皇帝が院使(いんし)を遣わして金襴の袈裟を授けました。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710c(乙未秋 奉聖旨 住大都廣濟寺 · 帝遣院使) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002 · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科
- 1358
旧暦3月、指空に暇乞いをして高麗へ戻りました。元へ旅立ってから十年あまりのことです。 記録
각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002(戊戌三月二十三日 禮辭指空) · 이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710c(戊戌春 辭指空) · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科 · 우리역사넷 「나옹혜근」 ウリ歴史ネット
- 1361
冬、恭愍王が宮中に招いて説法を聞き、神光寺に住まわせました。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710c(辛丑冬 … 請住神光寺) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002 · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科
- 1361
旧暦11月、紅巾賊が都の一帯を荒らすと、僧たちが避難しようと願い出ました。彼は「ただ命(めい)を守るのみ、賊が何をなしえようか」と答えました。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710c(唯命是保 賊何能爲) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002(唯命是保 賊軰何關汝事)
- 1370
旧暦9月、広明寺で僧たちの修行を試す工夫選(コンブソン)を取り仕切り、恭愍王が自ら来て見守りました。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 709a~b · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002 · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科
- 1371
旧暦8月26日、恭愍王の王師に冊封されて「普済尊者」の号を受け、松広寺に住むことになりました。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 709b(辛亥八月二十六日 … 封爲王師) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002 · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科
- 1372〜1376
1372年の秋に檜巌寺へ移り住み、師の指空の志を継いで、檜巌寺を大きく建て直す事業を率いました。弟子の覚宏(カクグェン)の行状は、1374年の春に王の求めで再び檜巌寺に住むことになると、大衆に殿堂を建て直させたと記しています。 記録
한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科(1374년 중수 시작) · 우리역사넷 「나옹혜근」 ウリ歴史ネット(1374년부터) · 이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 709b(壬子秋 … 欲移錫檜巖 … 得請居焉 … 迺謀於衆 增廣殿宇 工旣告畢 丙辰四月 大設落成之會 — 시작 연도는 적지 않음) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책, ABC_BJ_H0103_T_002 707b
- 1376
旧暦4月15日、檜巌寺の落成法会に、身分の高い者も低い者も押し寄せ、寺の門がふさがりました。司憲府と都堂が止めようとしましたが止められなかったと、『高麗史』は記しています。朝廷は彼を密城の瑩源寺へ移らせました。 記録
『고려사』 권133 열전46 우왕 2년 4월 · 『고려사절요』 권30 우왕 2년 4월(zh.wikisource 원문)(中外士女 無貴賤 … 放于慶尙道密城郡) · 이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 709b(移住瑩源寺) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002(四月十五日 大設落成會) · 한국민족문화대백과 「여주 신륵사 보제존자 석종」 E0032895(밀양의 영원사)
- 1376
病を抱えて旅立つとき、泣く大衆に「励め、励めよ。私のせいでやめてはならない」と言いました。舟で七日かけて川をさかのぼって驪興の神勒寺に着き、旧暦5月15日の朝(辰の刻)に亡くなりました。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710a(努力努力 無以余故中輟也 · 泝流七日 · 五月十五日 … 辰時 寂然而逝) · 각굉 「懶翁和尙行狀」 — 『한국불교전서』 6책 703a~709a, ABC_BJ_H0103_T_002 · 『고려사』 권133 열전46 우왕 2년 4월 · 『고려사절요』 권30 우왕 2년 4월(zh.wikisource 원문)(行至驪興神勒寺死)
- 1377
朝廷が「禅覚」という諡号を贈り、李穡(イ・セク)が書いた塔銘を刻んだ碑が檜巌寺に建てられました。 記録
이색 「普濟尊者諡禪覺塔銘」(1377) — 『한국불교전서』 6책 709a~711a, 동국대 ABC ABC_BJ_H0103_T_003 710a·711a(諡曰禪覺 命臣穡爲文 · 宣光七年 立) · 한국민족문화대백과 「혜근」 韓国民族文化大百科(1377년 회암사 비석)
- 1379
神勒寺に、彼の舎利を納めた石鐘の形の僧塔と、李穡が文を書いた石鐘碑が建てられました。 記録
디지털인문학 「여주 신륵사 보제존자석종비문」(찬 이색, 蒼龍己未) dh.aks.ac.kr · 한국민족문화대백과 「여주 신륵사 보제존자 석종」 E0032895(1379년, 보물)