民も法を知るべきだ
世宗大王は1432年、民はどの罪が重いかを知ってこそ自ら避けられるとして、重い罪の法の条文を吏読に移して知らせようと言いました。法を知ればかえって法を悪用するという反対に、知らせないでおいて罰するのは朝三暮四のような術策に近いと答えました。 記録 · 要旨
『세종실록』 58권 세종 14년 11월 7일 · 김슬옹(충청리뷰, 「세종은 왜 훈민정음을 창제했을까?」)
想像で描いた姿1397〜1450年
言葉を記した世宗大王
私はこれを哀れに思い、新たに二十八字をつくった。第5局 · 再構成 · 要旨 · 『訓民正音』御製序文(1446年の書)
世宗大王(セジョンデワン)は、1418年から1450年まで国を治めた朝鮮の第四代の王です。 記録
1443年旧暦12月、話し言葉の音を書き記す新しい文字28字をつくり、「訓民正音(フンミンジョンウム)」と呼びました。 記録
1446年旧暦9月には、新しい文字の原理と使い方を解説した書物『訓民正音』が完成しました。 記録
彼は序文に、言いたいことがあっても最後まで思いを述べられない民が多く、これを哀れに思って文字をつくったと記しました。 記録 · 要旨
彼が治めた時代に集賢殿(チッピョンジョン)が学者たちを育て、測雨器・自撃漏のような器具や農書『農事直説』が生まれました。 記録
出典は韓国語の原文のまま掲載しています。
旧暦4月10日(実録では4月壬辰の日)、太宗(テジョン)の三男として漢陽の俊秀坊で生まれました。 記録
『세종실록』 1권 총서(sillok.history.go.kr/id/kda_000) · 우리역사넷 「세종 1397~1450」(contents.history.go.kr, levelId=kc_n305800) · 한국민족문화대백과 「세종」(최승희 집필, encykorea.aks.ac.kr/Article/E0029857)
旧暦8月、父の太宗から王位を譲り受け、景福宮(キョンボックン)勤政殿で即位しました。 記録
『세종실록』 1권 세종 즉위년 8월 11일 무자 1번째 기사(즉위 교서, kda_10008011_001) · 우리역사넷 「세종 1397~1450」(contents.history.go.kr, levelId=kc_n305800) · 한국민족문화대백과 「세종」(최승희 집필, encykorea.aks.ac.kr/Article/E0029857)
旧暦3月、宮中に集賢殿を新たに置き、若い学者たちが経書と歴史を講じて王の問いに備えるようにしました。 記録
『세종실록』 7권 세종 2년 3월 16일 갑신 1번째 기사(kda_10203016_001) · 한국민족문화대백과 「집현전」(E0055081)
鄭招(チョン・チョ)らが王命により各道の農民の経験を集め、朝鮮の風土に合わせた農書『農事直説』を刊行し、翌年地方の役人たちに配りました。 記録
한국민족문화대백과 「농사직설」(E0013114) · 우리역사넷 『사료로 본 한국사』 「농서 간행」(hm_082_0020)
旧暦11月、重い罪を扱う法の条文だけでも吏読(イドゥ)に移して民に知らせようと言いました。吏曹判書の許稠(ホ・ジョ)が反対しましたが、民が法を知らないのに罰するのはごまかしに近いと問い返しました。 記録 · 要旨
『세종실록』 58권 세종 14년 11월 7일 임술 1번째 기사(kda_11411007_001) · 김슬옹 「세종은 왜 훈민정음을 창제했을까?」(충청리뷰, idxno=316852)
鴨緑江の上流に慈城・茂昌・虞芮郡を新たに置いて、太宗の時(1416)に置いた閭延郡とともに4郡とし、豆満江の側に6鎮(1434〜1449)を置いて、北の境界を二つの川の流域まで広げました。 記録
한국민족문화대백과 「세종」(최승희 집필, encykorea.aks.ac.kr/Article/E0029857) · 한국민족문화대백과 「육진」(E0042168) · 「사군」(E0025393)
旧暦7月1日から、蔣英実(チャン・ヨンシル)らがつくった自動の水時計、自撃漏を使い始めました。 記録
한국민족문화대백과 「자격루」(E0047854) · 우리역사넷 「창경궁 자격루」(kc_r300785)
1441年旧暦4月の実録には、世子(のちの文宗(ムンジョン))がここ数年、銅の器をつくって宮中で雨量を測ってきたという王の言葉が載っています。同じ年の旧暦8月、戸曹の建議により書雲観と地方の役所に雨量を測る器を置く制度が整えられ、1442年旧暦5月にこれを改めて「測雨器」という名と規格を定めました。 記録
『세종실록』 92권 세종 23년 4월 29일 기사(kda_12304029_001) · 93권 세종 23년 8월 18일 기사(kda_12308018_004) · 96권 세종 24년 5월 8일 정묘 기사(kda_12405008_001) · 한국민족문화대백과 「세종」(최승희 집필, encykorea.aks.ac.kr/Article/E0029857) · 경향신문 이기환 2023.3.6
旧暦12月、王が自ら諺文28字をつくり「訓民正音」と呼んだと、実録は記しています。 記録
『세종실록』 102권 세종 25년 12월 30일 경술 2번째 기사(kda_12512030_002) · 한국민족문화대백과 「한글」(강신항 집필, E0061508)
旧暦2月20日、集賢殿副提学の崔萬理(チェ・マルリ)らが諺文に反対する上疏を奉ると、彼らを呼んで問いただし、7人を義禁府に捕らえたのち、翌日釈放するよう命じました。 記録
『세종실록』 103권 세종 26년 2월 20일 경자 1번째 기사(kda_12602020_001) · 한국민족문화대백과 「최만리」(E0057279) · 프레시안 최태호 2023.5.5
旧暦9月、書物『訓民正音』が完成しました。今のハングルの日(10月9日)は、この書物の末尾にある「9月上澣」の最後の日である旧暦9月10日を、新暦に直して定めた日です。 記録
『세종실록』 113권 세종 28년 9월 29일 갑오 4번째 기사(kda_12809029_004) · 국립한글박물관 웹진 2018.10 「한글날이 10월 9일인 이유는?」 · 한국민족문화대백과 「한글」(E0061508)
旧暦2月17日、永膺大君(ヨンウンデグン)の屋敷の東別宮で世を去りました。 記録
『세종실록』 127권 세종 32년 2월 17일 임진 1번째 기사(kda_13202017_001) · 우리역사넷 「세종 1397~1450」(contents.history.go.kr, levelId=kc_n305800)
世宗大王は1432年、民はどの罪が重いかを知ってこそ自ら避けられるとして、重い罪の法の条文を吏読に移して知らせようと言いました。法を知ればかえって法を悪用するという反対に、知らせないでおいて罰するのは朝三暮四のような術策に近いと答えました。 記録 · 要旨
『세종실록』 58권 세종 14년 11월 7일 · 김슬옹(충청리뷰, 「세종은 왜 훈민정음을 창제했을까?」)
御製序文は、わが国の言葉は中国の言葉と異なり、漢字では互いに通じないと述べます。そこで誰でもたやすく覚え、日々楽に使えるように、新しい文字28字をつくったと明らかにしています。 記録 · 要旨
『세종실록』 113권 세종 28년 9월 29일(어제 서문) · 『훈민정음』 해례본 어제 서문(ko.wikisource 「訓民正音」 대조)
『訓民正音』の解例(鄭麟趾(チョン・インジ)と崔恒(チェ・ハン)・朴彭年(パク・ペンニョン)・申叔舟(シン・スクチュ)・成三問(ソン・サムムン)・姜希顔(カン・ヒアン)・李塏(イ・ゲ)・李善老(イ・ソルロ)ら八人の学者が書いた解説)は、基本の子音が音を出すときの発音器官の形をかたどったと説明します。たとえば ㄱ は舌の根が喉をふさぐ形です。基本の母音 ㆍ・ㅡ・ㅣ は天・地・人をかたどったといいます。 記録 · 要旨
『훈민정음』 해례 제자해(「牙音ㄱ,象舌根閉喉之形」, 「形之圓,象乎天」 등, ko.wikisource 「訓民正音」) · 한국민족문화대백과 「한글」(E0061508)
1444年、崔萬理らが音を書き記して文字を組み合わせるやり方は古えに背くと言うと、世宗大王は、薛聡(ソル・チョン)の吏読も民を楽にしようとしたものではないかと問いました。そうであれば今の諺文も民を楽にしようとするものではないか、と問い返しました。 記録 · 要旨
『세종실록』 103권 세종 26년 2월 20일(「如其便民也, 則今之諺文, 亦不爲便民乎」) · 프레시안 최태호 2023.5.5
国の言葉の音は中国と異なり、漢字と互いに通じないので、愚かな民が言いたいことがあっても、最後までその思いを述べられない者が多い。私はこれを哀れに思い、新たに二十八字をつくる。人々がたやすく覚え、日々用いるのに便利にしようとするだけである。
國之語音, 異乎中國, 與文字不相流通, 故愚民有所欲言, 而終不得伸其情者多矣。予爲此憫然, 新制二十八字, 欲使人易習, 便於日用耳。
民が法を知らないのに、それに背いた者を罰するなら、朝三暮四の術策に近いのではないか?
民不知法, 而罪其犯者, 則不幾於朝四暮三之術乎?
もしそれが民を楽にしようとするものなら、今の諺文もまた民を楽にしようとするものではないか?
如其便民也, 則今之諺文, 亦不爲便民乎?
世宗大王が即位した1418年、朝鮮の書き言葉は漢字で、自国の言葉を書き記すときは漢字を借りて使う吏読を用いていました。世宗大王は1432年に法の条文を吏読に移して知らせようと言い、1444年の崔萬理らとの問答でも薛聡の吏読を引き合いに出して語りました。その間の1443年旧暦12月に、音を書き記す新しい文字28字がつくられました。
『訓民正音』解例本は1940年に再び世に知られ、澗松美術館が所蔵して国宝に指定されています。解例本は1997年にユネスコ世界の記憶(世界記録遺産)に登録されました。ハングルの日(10月9日)はこの書物の末尾の日付をもとに定められ、韓国の「先生の日」(5月15日)は1965年から、世宗大王が生まれた日を新暦に直した日として記念されています。
誤解訓民正音は世宗大王が一人でつくった/集賢殿の学者たちがつくった
事実どちらか一方に結論は出ていません。実録(1443)は王が自ら(親制)つくったと記し、鄭麟趾の序文も「わが殿下が創製された」と記しています。一方、成俔(ソン・ヒョン)の『慵斎叢話』は、世宗大王が諺文庁を置き、申叔舟・成三問らに命じてつくらせたと記しており、学者たちが手助けしたという見解(協賛説)の根拠になっています。『新編韓国史』は当時の記録が一様に世宗大王を創製者として語っているとみており、『韓国民族文化大百科事典』の「世宗」は少壮の学者たちの協力を得てつくったと書いています。
『세종실록』 102권 세종 25년 12월 30일 · 113권 28년 9월 29일 정인지 서문 · 『신편 한국사』 26권 Ⅰ-2-2)-(2) 「창제자」(우리역사넷, nh_026_0020_0020_0020_0020) · 한국민족문화대백과 「세종」(E0029857)誤解測雨器は蔣英実が発明した
事実実録の1441年旧暦4月の記事には、世子(のちの文宗)がここ数年、銅の器をつくって宮中で雨量を測ってきたという王の言葉が載っています。同じ年の旧暦8月、戸曹の建議により書雲観と地方の役所に雨量を測る器を置く制度が整えられ、1442年旧暦5月にこれを改めて「測雨器」という名と規格を定めました。これらの測雨に関する実録の記事には、蔣英実の名は出てきません。
『세종실록』 92권 세종 23년 4월 29일(「世子憂旱 … 鑄銅爲器, 置於宮中」) · 93권 23년 8월 18일(kda_12308018_004) · 96권 24년 5월 8일(kda_12405008_001) · 경향신문 이기환 2023.3.6 · 문화일보 김규회 「장영실이 측우기 발명? 처음 만든 사람은 文宗」