思考の対局GREAT GAMES OF THOUGHT
エックハルト — 想像で描いた姿想像で描いた姿

マイスター・エックハルト

1260年頃〜1328年(4月30日以前、1327年とする説もある)

1328年4月30日以前(1327年とする説もある)

自分を手放せと説いたエックハルト

自らを見つめ、自らを見いだすところではどこでも、自らを手放しなさい。
第7局 · 再構成 · 引用 · 『教導講話』第3章(1295〜98年頃)

概要

マイスター・エックハルトは、1260年頃にテューリンゲンで生まれたドミニコ会の修道士です。 記録

パリ大学で神学教授(マギステル)として二度教え、ラテン語の著作とドイツ語の説教・教えを残しました。 記録

晩年にケルン大司教の異端審問を受け、彼の死後の1329年、教皇ヨハネス22世が彼のものとみなした28の命題を断罪しました。勅書は彼を異端者とは呼びませんでした。 記録

自分を手放して委ねること(gelâzenheit)と、魂の内に神の子が生まれるという教えが、彼の思想の中心に挙げられます。 解釈 · SEP(Griffioen)

19世紀にはヘーゲルとショーペンハウアーが彼を読んで引用し、20世紀には彼をヴェーダーンタや禅仏教と比べる研究も現れました。 記録

出典は韓国語の原文のまま掲載しています。

生涯年表

  1. 1260頃

    テューリンゲンで生まれました。村はホッホハイムとする説とタンバッハとする説に分かれています。 論争中

    SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1 · eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(호흐하임 바이 고타) · Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 6쪽(호흐하임)

  2. 1275頃

    エアフルトのドミニコ会修道院に入ったとみられます。正確な年の記録はありません。 解釈 · 学者たちの一般的な見解

    eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(Vermutlich um 1275) · Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 6~7쪽(about 1275) · SEP §1(늦은 십대)

  3. 1293〜1294

    パリでペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』を講義しました。1294年4月18日の復活祭の説教が、彼の生涯で日付の確かな最初の記録です。 記録

    eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(1294년 4월 18일) · SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1(1293년 강사)

  4. 1294〜1298頃

    エアフルト修道院長であり、テューリンゲンの代理でもあった頃、修道士たちの問いに答えた『教導講話』を残しました。 記録

    eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(1294 Prior · 1298 겸직 금지) · Walshe 2009 제2부 서론(Introduction to Part Two) 479쪽(about 1295~1298) · 원문 머리글(vicarius von türingen, prior von erfurt)

  5. 1302

    パリ大学で神学のマギステルとなり、教授として教えました。 記録

    SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1(1302 magister actu regens) · Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 7쪽 · eckhart.de 「Leben」 eckhart.de

  6. 1303

    新しくできたドミニコ会ザクセン管区の初代管区長に選ばれました。管区には少なくとも47の修道院がありました。 記録

    eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(1303년 9월 8일, 47 Männerklöster) · Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 7쪽 · SEP §1(적어도 47곳)

  7. 1307

    ボヘミア管区の総代理の職もあわせて担いました。 記録

    eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(1307년 성령강림절) · Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 7쪽 · SEP §1

  8. 1311

    再びパリに呼ばれ、二度目の神学教授を務めました。 記録

    SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1 · eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(1311년 5월 30일 나폴리 총회)

  9. 1313〜1323頃

    ストラスブールで修道会の仕事を担っていたことを示す文書があります(1314・1316・1322年)。この時期に彼がどこで過ごしていたかは、詳しくはわかっていません。 記録

    eckhart.de 「Leben」 eckhart.de · SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1(1313년 여름 스트라스부르) · Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 8쪽(1314)

  10. 1323〜1324頃

    ドイツのドミニコ会の学問の中心地だったケルンに移って教えました。 記録

    SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1(1323~24) · eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(um 1324 lector primarius)

  11. 1326

    同じ修道会の修道士二人がケルン大司教ハインリヒ・フォン・フィルネブルクに彼を告発し、大司教が審問を開きました。9月26日に出した弁明書で、彼は「誤ることはあっても、異端者であることはありえない。前者は知性の事柄であり、後者は意志の事柄である」という趣旨で答えました。 記録 · 要旨

    SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1(1326 목록·9월 26일 출석·지성과 의지의 구별) · eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(1326년 9월 26일 Responsio, Proc. col. I n.80의 독일어 옮김)

  12. 1327

    教皇に上訴したのち、2月13日にケルンのドミニコ会教会で宣言文を出しました。同じ修道会のコンラート・フォン・ハルバーシュタットがラテン語で一節ずつ読み上げると、彼がその一節をドイツ語に訳しました。著作と言葉に信仰の誤りがあれば撤回するという内容でした。 記録

    Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 10쪽 · eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(1327년 2월 13일, Konrad von Halberstadt, Sturlese 인용) · eckhart.de 「Protestatio vom 13. Februar 1327」(공증 문서: unum articulum sive punctum … in materna lingua … de verbo ad verbum exposuit) eckhart.de

  13. 1327

    春、教皇に直接訴えるためアヴィニョンへ行き、そこで教皇が設けた神学者の委員会が彼の命題をあらためて調べました。 記録

    SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1 · Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 10쪽 · eckhart.de 「Leben」 eckhart.de

  14. 1328

    判決を見ずに亡くなりました。教皇が1328年4月30日に書いた手紙で、彼はすでに亡くなった人として出てきます。亡くなった場所は確かな記録がありません。 記録

    Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 11쪽 · eckhart.de 「Leben」 eckhart.de(1328년 4월 30일 교황 편지, 아비뇽·귀로·쾰른 가운데 불확실)

  15. 1329

    3月27日、教皇ヨハネス22世が勅書「In agro dominico」で、彼のものとみなした28の命題を断罪しました。17は異端とし、11は異端の疑いがあるが、十分に説明を補えば正しく読まれうるとしました。 記録

    교황 칙서 「In agro dominico」 라틴어 원문(eckhart.de/bulle.htm)(Datum Avinione, VI. kal. aprilis) · SEP 「Meister Eckhart」(Amber L. Griffioen, 2023) SEP §1 · Walshe·McGinn, The Complete Mystical Works of Meister Eckhart(2009) 서론 11쪽

核となる思想

自分を手放して委ねる

平安がない理由は場所や人ではなく、自分の意志にあると彼は言います。だからまず自分自身から始めて、自分を手放せと勧めます。 記録 · 要旨

『가르침의 말』 3장 — 『가르침의 말』(Rede der underscheidunge) 중세 독일어 원문 — Quint 편 DW V(1963), 에르푸르트 프레디거게마인데 판 PDF · Walshe 2009 488~489쪽 · SEP(gelâzenheit)

神は場所に縛られない

人を避けて聖堂にだけいようとするのが最もよいのかという問いに、彼は「いいえ」と答えました。神を正しく持つ人は、街なかでも、人々のあいだでも、聖堂と同じように神を持つと述べました。 記録 · 要旨

『가르침의 말』 6장 — 중세 독일어 원문(DW V) · Walshe 2009 490쪽

恍惚より、病む隣人

たとえ聖パウロのような恍惚の中にあっても、一杯のスープを必要とする病人がいるなら、愛によってその恍惚を離れて彼の世話をするほうがはるかによいと述べました。 記録 · 要旨

『가르침의 말』 10장 — 중세 독일어 원문(suppelîn, DW V) · Walshe 2009 496쪽

魂の内で起こる誕生

彼は、神の子が魂の内に生まれると説教しました。この誕生が絶えず起きていても、私の内で起きないなら何の役に立つのか、という言葉を、アウグスティヌスの言葉として引用しました。 記録 · 要旨

설교 101(독일어 전집 번호, Walshe 1번) — Walshe 2009 29쪽 · SEP §9 「Birthing the Word and Being in the World」

ただ一つの今

神が最初の人を造った今と、最後の人が消え去る今と、私が語っているこの今は、神の内では同じであり、今はただ一つだと述べました。 記録 · 要旨

설교 2(독일어 전집 번호, Walshe 8번) — Walshe 2009 79쪽 · SEP('eternal now')

残した言葉

自らを見つめ、自らを見いだすところではどこでも、自らを手放しなさい。それが最もよいことである。

Nim dîn selbes war, und swâ dû dich vindest, dâ lâz dich; daz ist daz aller beste.

『가르침의 말』 3장 끝(1294~1298년쯤) — Quint 편 DW V(1963) · 영역 Walshe 2009 489쪽 記録 · 引用
神を真に正しく持つ人は、聖堂や荒野や僧房にいるときと同じように、どこにいても、街なかでも、あらゆる人のそばでも神を持つ。

Wer aber got rehte in der wârheit hât, der hât in in allen steten und in der strâze und bî allen liuten als wol als in der kirchen oder in der einoede oder in der zellen

『가르침의 말』 6장 — Quint 편 DW V(1963) · 영역 Walshe 2009 490쪽 記録 · 引用
たとえ人が聖パウロのような恍惚の中にあっても、自分に一杯のスープを求める病人がいると知っているなら、愛によってその恍惚を離れ、より大きな愛でその貧しい人に仕えるほうがはるかによいと、私は考える。

wære der mensche alsô in einem înzucke, als sant Paulus was, und weste einen siechen menschen, der eines suppelîns von im bedörfte, ich ahtete verre bezzer, daz dû liezest von minne von dem und dientest dem dürfigen in mêrer minne.

『가르침의 말』 10장 — Quint 편 DW V(1963) · 영역 Walshe 2009 496쪽 記録 · 引用

時代と影響

エックハルトが属したドミニコ会(説教者兄弟会)は説教と学問を担う修道会で、彼はパリ大学とケルンの修道会の学校で教えました。その頃、ケルン大司教ハインリヒ・フォン・フィルネブルクは、異端とみなした集団(ベガルドなど)を火刑や溺死によって処しました。教皇庁は当時、ローマではなくアヴィニョンにありました。

彼のドイツ語の作品は、1857年にフランツ・プファイファーが説教110篇と論考18篇などを編んで出版したことで、近代の研究が本格的に始まりました。それに先立ってフランツ・フォン・バーダーやヘーゲルのようなドイツ観念論者が彼を受け入れ、これによって彼がドイツ語圏で「近代思弁の父」とみなされるようになったと、SEPはみています。20世紀には、ルドルフ・オットーが彼をヴェーダーンタと、鈴木大拙が禅仏教と比べました。

ほかの対局の人物と

よくある誤解

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