思考の対局GREAT GAMES OF THOUGHT
左は白い旗と槍を持った兵が並ぶ丘に、暗い色のうろこ状の鎧と帯姿で立つひげの将、右は夜明けの霧の野原で赤い鎧に長い槍を持って立つ髷の男。二人が並んで見える場面

思考の対局 · 第13局  ·   ·  13分21秒

無理そうなことでも、最後までやるべきか?

階伯×真田幸村

無理そうなことでも、最後までやり抜く人は、そのとき何を守ろうとしているのでしょうか?「国が生き残るか滅びるか、分からない」と言った百済の将・階伯(ケベク)と、「一日先も分かりません」と書いた日本の将・真田信繁(幸村)に、その答えを探ります。

台本と原典を読む
低く日が昇る霧の山裾の野原の真ん中で、暗い色の鎧の男と赤い鎧の男が、草の上で向かい合って立つ場面

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対立

階伯と真田幸村、二人

「国が生き残るか滅びるか、分からない」と言った百済の将・階伯(ケベク)

国が生き残るか滅びるか、分からない。
再構成

「一日先も分かりません」と書いた日本の将・真田信繁(幸村)

一日先も分かりません。
再構成

反転 → 本質

ところが二人は、死を近くに置きながらも、記録からは、ただ死にに行った人とは読めません。

最後までやり抜くことと、誰かを残そうとする心。二つは、互いに反対ではありませんでした。

読む

台本と原典

映像の台詞を日本語で掲載しています。 [記録] 文献で確認 · [要旨] 原文を縮めて訳出 · [後世の記録] 本人ではなく後世の人が残した記録 · [伝承] 当時の文書で確認されず後世に伝わる話 · [二次経由] 原文の面を直接見ず、引用・解説を通じて確認 · [記録なし] その人の文章や記録で確認されない言葉 · [解釈] 学者・進行役の解釈

台本全文

120行 · チャプター10個 · 行ごとに根拠

画面右下の小さな文字は、絵が変わるたびに図版の種類(実物の肖像画・実物の屏風絵・六文銭の紋・原文を新たに組版・新たに組版した文字・説明用の図・想像で描いた場面など)を示します。版本と原文の画面は、写された文字を古い紙の上に新たに組版したもので、手紙の文字の画面は新しく作った絵です。階伯の家族の場面は言葉だけで、人は描かず、何もない野原だけを映します。日付はすべて陰暦です。

0:00 · 無理そうなことでも、最後までやるべきか?

0:00進行役

最後まで戦った将が、敵の子どもは、生かして帰しました。

0:03ナレーター

兜を脱がせると、十六歳の顔でした。

0:08ナレーター

若く勇ましいのを惜しんで、傷つけるに忍びなかったと、記されています。

0:13階伯

国が生き残るか滅びるか、分からない。

再構成

0:16進行役

千年近くのち、海を越えて。

0:18真田幸村

一日先も分かりません。

再構成

0:21進行役

似た言葉を残した、二人の将。あとに残る者たちにしたことは、正反対でした。

0:26進行役

百済の将、階伯(ケベク)。そして日本の将、真田信繁(のぶしげ)。一般には「幸村」と呼ばれる人物です。

0:38 · 私たちの場面 — 無理そうなこと

0:38進行役

締め切りは明日なのに終わりそうにない仕事、大差をつけられた試合の、最後の数分。

0:45進行役

それでも最後までやってみる人は、そのとき、何を守ろうとしているのでしょうか?

0:50進行役

二人の将は最後まで、勝とうとして戦いました。

0:55進行役

そうしながらも、そのただ中で、誰かを生き残らせようとしました。

1:02ナレーター

この野原の場面は、二人の記録をもとに描き直した、架空の対話です。

1:09真田幸村

あなたも、おっしゃったそうですね。国が生き残るか滅びるか、分からないと。

再構成

1:15階伯

そうであった。だからこそ、勝とうと言ったのだ。

再構成

1:20 · 階伯 — 要所を逃した国

1:20ナレーター

その年の夏、百済に、二つの国の軍勢が押し寄せます。海からは唐、山道からは新羅。

1:27ナレーター

百済の朝廷では、意見が分かれました。流罪になっていたある臣下は、二つの狭い要所を塞げ、と言いました。

1:34ナレーター

一人が槍一本で守れば、一万人でもかなわない場所だ、と。

1:39ナレーター

大臣たちは、その言葉を退けました。その間に、新羅軍はすでに山道を越えていました。

1:44ナレーター

そこでようやく一人の将に、死を覚悟した兵五千が託されます。

1:49進行役

それが、階伯です。ところが、記録に残る彼の生涯は、ほんの数行しかありません。

1:56進行役

生まれた年も、故郷も、記されていません。

1:59ナレーター

その数行の中に、最も重い一行があります。

2:03ナレーター

出陣の前、彼は、妻と子が奴婢にされることを恐れました。そして、家族の命を先に絶ったと、記されています。

2:14進行役

この一行をめぐって、後の世の評価は大きく分かれました。残酷だったという見方も、恥辱を防いだという見方もありました。

2:22進行役

ただ、彼が何を恐れていたのかは、その言葉に残っています。

2:28ナレーター

黄山(ファンサン)の野に着いた階伯は、険しい地を先に押さえ、兵たちの前で誓います。

2:33階伯

昔、勾践は五千の兵で、呉の国の七十万を破った。今日、おのおの力を尽くし、勝とう。

再構成

2:41進行役

負けるとは言いませんでした。勝とう、と言ったのです。

2:45ナレーター

向かいには、新羅の精鋭の兵、五万がいました。

2:50 · 狭い道の計算

2:49進行役

五千対五万。数で言えば、十倍です。

2:56ナレーター

イギリスのある工学者は、戦いを数式で計算しました。

3:00進行役

十人が一人と戦えば、十倍の力で打ちかかり、受ける打撃は、十人で分け合います。

3:08ナレーター

全員が一度に互いを狙えるなら、力の差は、人数の二乗で開きます。

3:13進行役

五千対五万なら、一対百という計算です。

3:18ナレーター

しかし狭い場所で、前列どうしだけがぶつかるなら、差は、ほぼ人数の分しか開きません。もう一度、一対十。

3:26進行役

槍一本で一万人を防ぐという言葉も、険しい地を先に押さえたことも、この計算で読めます。

3:34進行役

ただ、これは模型にすぎず、心と地形は、式に入っていません。

3:40 · 四度 — 同じ戦い、三つの記録

3:39ナレーター

その日の戦いの「四度」を、歴史書『三国史記』は、三か所で、それぞれ違う形で記しました。

3:48ナレーター

百済の記録には、四度戦い、四度とも勝った。

3:52ナレーター

新羅の記録には、四度戦い、四度とも勝てなかった。

3:57ナレーター

階伯の伝記には、進んでは退くこと四度、力尽きて死んだ。

4:03進行役

同じ本の中でも、どちらの側の話として書かれたかで、違って見えます。

4:09 · 忍びず — 敵の少年

4:08ナレーター

新羅軍が疲れてくると、将たちは、息子たちを前へ送り出します。

4:13ナレーター

十六歳の官昌(クァンチャン)は、ひとり敵陣に突っ込み、捕らえられて、階伯の前に引き出されます。

4:20ナレーター

兜を脱がせた階伯は、傷つけるに忍びず、生かして帰します。

4:26階伯

少年でさえこうなのだ。ましてや、大人の兵ならば。

再構成

4:30進行役

記録が使った言葉は「忍びず」。読み下せば、「忍びず」。もとの漢字は「不忍」です。

4:36ナレーター

古代中国の哲学者・孟子は、人には誰にでも、人を傷つけるに忍びない心がある、と言いました。

4:44進行役

勝つための計算しか残らない戦場でも、その心は、消えていなかったのです。

4:49ナレーター

しかし官昌は、井戸の水を手ですくって飲み、再び敵陣へ駆けてきます。

4:56ナレーター

今度は、階伯は彼を、生かして帰しませんでした。

5:01ナレーター

少年の死を見た新羅軍は、太鼓を打ち鳴らして進み、百済軍は崩れました。階伯も、その戦いで死にました。

5:11進行役

少年を生かして帰したのは、弱かったからではありません。ただ、負ければ終わりの戦いで、彼はその心に、一度しか従いませんでした。

5:23 · 真田 — 定めなき世

5:23進行役

それから九百五十年あまり後、日本、大坂。

5:28進行役

日本で長く愛されてきた武将、真田幸村。ところが、彼が残した確かな文書に、この名はありません。

5:37ナレーター

彼が自ら書いた名は、信繁。「幸村」は、彼の死からずっと後、物語の本で初めて出てくると言われています。

5:45ナレーター

日本が二つに分かれた大きな戦いで、真田家も分かれます。

5:50ナレーター

父と彼は一方に、兄は反対側、のちに天下を握る、徳川の側につきます。

5:57ナレーター

父の側は敗れました。兄の嘆願で命は助かったものの、山里の九度山に流され、長い年月を過ごします。

6:04進行役

その頃の手紙が、残っています。

6:07真田幸村

去年から急に年をとり、歯も抜け、ひげも黒いところは、あまりありません。

再構成

6:15進行役

焼酎を壺に入れて、口をしっかり塞いで送ってほしい、という手紙もあります。

6:20ナレーター

そして、徳川と大坂城のあいだで、最後の戦いが始まります。彼は山里を抜け出し、大坂城に入ります。

6:29ナレーター

その城を助けに来た大名は、一人もいませんでした。

6:33ナレーター

彼は城の南の外側に、独立した陣地を一つ築きます。のちに「真田丸」と呼ばれた場所です。

6:40進行役

押し寄せる敵を、城壁のすぐ前まで引きつけて、迎え撃つ場所でした。階伯のように、戦う場所を先に選んだのです。

6:48ナレーター

この戦いで、徳川軍は大きく阻まれました。

6:51ナレーター

しかし、まもなく和睦が結ばれ、城を囲む深い堀が埋められます。

6:58進行役

城は、ほとんど丸裸になりました。次の戦いは、野で戦うしかありませんでした。

7:05ナレーター

その頃、徳川方は、領地を与えるから寝返れと、彼を説いたと伝えられています。

7:12進行役

彼は応じませんでした。与えるという領地の大きさは、話によって異なります。

7:17進行役

領地でも動かない人。孟子には、そういう人を呼ぶ、特別な名がありました。

7:22ナレーター

翌年の春、彼は娘の夫に手紙を書きます。娘があなたの意に沿わなくても、見捨てないでほしい、と。

7:30ナレーター

そして、徳川方についていた、姉の夫にも書きます。

7:35真田幸村

定めなき浮世ですので、一日先も分かりません。私どもを、この世の者と思わないでください。

再構成

7:43進行役

死ぬとは、直接は書いていません。世に定めはないと書きながら、心を定めた人の文章と読めます。

7:54ナレーター

その年の夏、最後の日の朝。それでも彼は、勝つ道を探しました。

7:59ナレーター

彼が突き進んだのは、敵の総大将がいる本陣でした。

8:03ナレーター

戦いは思うようには始まりませんでしたが、赤い甲冑の真田勢は、本陣へ向けて何度も突き進みます。

8:10ナレーター

ある手紙は記します。本陣の兵たちは散り散りになり、三度目に、真田も討死した、と。

8:16進行役

同じ手紙は、こう付け加えます。真田は日本一の兵(つわもの)。古くからの物語にもない、とのことだ。

8:23進行役

敵だった側から、広まった言葉でした。

8:27ナレーター

大坂城は、その日、落城しました。

8:30ナレーター

長男は父に従って城に入り、城とともに死んだと、伝えられています。

8:36進行役

そして兄が継いだ家は、その後二百五十年以上、大名として続きます。

8:43 · 思考の対局 — もう一度、あの野原

8:42進行役

もう一度、あの夜明けの野原です。

8:46真田幸村

最後の日の朝まで、勝つ道を探しました。定めなき浮世ですから、娘は託しておきました。

再構成

8:56階伯

負ければ、わが家族は奴婢となるのだ。私は、それが恐ろしかったのだ。

再構成

9:04真田幸村

あの敵の子は、生かして帰したのですね。

再構成

9:07階伯

忍びなかったのだ。兜の下の顔が、あまりに幼くて。

再構成

9:14階伯

あの子は再び来て、私は今度は、生かして帰さなかったのだ。

再構成

9:21 · 反転と本質

9:20進行役

二人は死を身近に置いていましたが、記録からは、ただ死にに行った人とは読めません。最後まで、勝とうとしました。

9:30進行役

真田は戦いを前に娘を託し、階伯は一度、敵の少年を生かして帰しました。

9:38進行役

最後までやってみることと、誰かを生き残らせようとする心。二つは、互いに反対ではありませんでした。

9:52ナレーター

孟子は、昔の王たちはこの心があったからこそ、人を傷つけるに忍びない政治を行った、と言いました。

9:58進行役

心は一人を生かして帰すことができますが、ルールは、すべての人を生かすことができます。

10:05進行役

階伯が恐れたのは、負ければ家族まで奴婢にされうる、その時代のルールでした。

10:11進行役

真田には、勝つ側に立った兄と、姉の家がありました。

10:16 · 私見 — 大丈夫(だいじょうふ)

10:16進行役

次の世代に残す言葉を選ぶなら、私は孟子のこの文章を、一緒に手渡します。

10:23ナレーター

ある人が孟子に尋ねました。ひとたび怒れば諸侯が震え上がった二人の策士こそ、大丈夫ではないか、と。

10:31ナレーター

孟子は、違うと答えます。人の意に合わせることを正しいとするのは、大丈夫の道ではない、と。

10:38ナレーター

大丈夫とは、天下の広い家に住み、正しい位置に立ち、大きな道を歩む人です。

10:45ナレーター

志を得れば民とともにその道を行き、志を得なければ、ひとりでその道を行きます。

10:52ナレーター

富と地位も彼を乱せず、貧しさと低い身分も彼を変えられず、威勢も彼を屈させられません。これを、大丈夫と言います。

11:03進行役

諸侯を震え上がらせる力ではなく、仁と正しさに拠って立つ力こそ、大きな人の力だ、ということです。

11:10進行役

二人の将は、志を得られなかった側でした。それでも最後まで、自分の道を行きました。

11:18進行役

階伯と真田は、真の大丈夫(だいじょうふ)ではないでしょうか?

11:25進行役

目標は「勝て」であってはいけません。目標は「皆、生き残れ」でなければなりません。

11:34進行役

孟子の大丈夫も、志を得れば、ひとりでは行かず、民とともに行きます。

11:41進行役

勝つことしか残らない世界では、勝った側の子どもも、負けた側の子どもも、計算に入ります。

11:53進行役

だからといって、弱くなろうという話ではありません。

11:56進行役

結局、精神の強い側が、生き残ることができます。

12:01進行役

孟子が大丈夫と呼んだ、まさにその精神です。

12:06進行役

階伯は五万を前に、屈しませんでした。真田は長い流罪にも、領地を与えるという言葉にも、揺らがなかったと伝えられています。

12:16進行役

その精神が志を得れば、ひとりではなく、皆が生き残る道を開きます。

12:23進行役

けれど同じ孟子が、人を傷つけるに忍びない心についても、語りました。

12:31進行役

屈しない精神と、忍びない心は、一人の人間の、二つの顔です。

12:40進行役

最後までやってみながら、皆が生き残る道を、ともに探すこと。二人の将が残した言葉を、私はそう読みます。

12:48進行役

皆さんは、無理そうなことを前にして、勝つこと以外に、何を守りますか?

原典と研究

  1. 記録『三国史記』階伯列伝(巻47、1145)「階伯,百濟人,仕為達率」「簡死士五千人」「以一國之人,當唐、羅之大兵,國之存亡,未可知也」· 生年と故郷は記録にない · 家族の場面「恐吾妻孥,沒為奴婢,與其生辱,不如死快。遂盡殺之」は列伝の一箇所にのみあり、出来事の485年後の記録 · 後世の評は分かれ、権近の批判とその反論は安鼎福『東史綱目』第4上(1778年完成)で確認
  2. 記録 · 同じ本の三か所で異なる「四度」:百済本紀「四合皆勝之」· 新羅本紀「四戰不利,士卒力竭」· 階伯列伝「如是進退,至四合,力屈以死」· 「5千対5万」は三か所を合わせた数 · 誓いの「句踐の5千対呉の70万」は階伯の言葉の中の数字で、実際の戦闘規模ではない
  3. 記録新羅本紀「階伯俾脱冑」「愛其少且勇,不忍加害」· 官昌列伝「少而為花郞」· 「階伯擒斬首」· 階伯が後悔したという記録はない
  4. 記録『孟子』公孫丑上「人皆有不忍人之心」「先王有不忍人之心,斯有不忍人之政矣」· 滕文公下2章(婚礼の比喩の部分は「……」で省略)· 三つの版本と字句を照合 · [解釈] 朱熹は「広居・正位・大道」を仁・礼・義と解した
  5. 記録 · 解釈F. W. Lanchester『Aircraft in Warfare: The Dawn of the Fourth Arm』(London: Constable, 1916)第5章 · 狭い谷にあてはめたのはこの映像の読み
  6. 記録 · 二次経由名前:本人が自ら書いた名は信繁で(1612年の出家後は法名「好白」と署名した手紙がある)、「幸村」は1672年『難波戦記』に初めて見えると知られる(丸島和洋 2016・平山優 2015)· 九度山時代の手紙(日付不明)· 大坂入城後の手紙(1615年):2月10日、石合十蔵宛の手紙は図録『秀吉と真田』(2007)p.40 図版収録 · 1615年3月、小山田茂誠・之知宛の手紙「定め無き浮世ニて候へば、一日さきハ不知事候」(国立国会図書館サーチの書誌は慶長20年3月 · 辞世の句ではなく手紙の一節)· かな原文は直接見ていない
  7. 記録 · 二次経由 · 編纂本所収島津忠恒の手紙(自ら戦わず、伝え聞いた話を記したもの)「…三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由」:『薩藩旧記雑録』所収分を引用文で照合 · 島津軍は冬・夏の陣とも不参加。「由」のとおり、その日出回った話
  8. 記録 · 二次経由『言緒卿記』5月7日「大坂落城す。天王寺にて、真田、たびたび武辺、其の後、討死なり」· 黒田屏風(『大坂夏の陣図屏風』)の右隻に赤い甲冑の真田勢が描かれる · 5月7日の大野治房の軍令状は「軽率に戦わず、敵を引きつけて一戦」の趣旨で、家康本陣を狙うとは書かれていない
  9. 伝承徳川方が領地を与えるから寝返れと説いたという話(領地の大きさは話ごとに異なる)· [後世の記録] 嫡男の入城と死は後世の軍記類にあり、当時の文書は未確認
  10. 解釈家を残すために分かれたという説明(通説)も、妻たちの縁戚関係で分かれたという説明も伝わっています。三人の密談そのものを記した当時の史料はありません。
  11. 解釈映像の終わりの「私見 — 大丈夫(だいじょうふ)」は進行役の意見です。『孟子』と結びつけて読んだのはこの映像の読みで、二人がそういう意味で言ったという記録はありません。

写真の出典

Wikimedia Commons · Public Domain(PD-Art)· 所蔵 上田市立博物館:「真田幸村像」(作者不詳、江戸時代)

Wikimedia Commons · Public Domain(PD-Art)· 所蔵 大阪城天守閣:『大坂夏の陣図屏風』右隻(黒田屏風、17世紀、作者不詳、重要文化財)· 改変:元のスキャンから一部を切り取り、古い紙の上に配置

六文銭:真田家の家紋の伝統的な図案を描き直したもの

そのほかの人物の絵と場面は、記録と装束の資料をもとに想像で描いた場面です。

誤りを見つけたら、映像のコメントでお知らせください。確認したうえで訂正します。 事実を確かめる方法

日の昇る霧の野原で、暗い色の鎧の男と赤い鎧の男が背を向けて並んで立ち、遠くの山を眺める場面

最後までやってみながら、皆が生き残る道を、ともに探すこと。二人の将が残した言葉を、私はそう読みます。

皆さんは、無理そうなことを前にして、勝つこと以外に、何を守りますか?

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